はじめてのリビングラボ #5:日本的リビングラボのカタチ
安岡 美佳/北欧研究所 代表
2026/02/25
ここまで、書籍『はじめてのリビングラボ』をベースにリビングラボに関する話を進めてきたが、今回は筆者の主観的で熱い想いも交えながら、なぜ、どのように日本でリビングラボを推進するのかについて述べたい。
なぜ日本でリビングラボを実施するのか
日本は海外から「イノベーティブな国」と評価されることが多いが、優秀な個人が存在するにもかかわらず、新産業の創出や社会システムの変革といった戦略的な動きにはつながりにくい側面がある。それは、新産業の育成には 長期的視点と多様な人たちとの協働が不可欠であり、優秀な個人だけでは実現しえないためである。
無論、イノベーションは多種多様であり、シリコンバレー型もありうる。ただ、日本のスタートアップや新産業育成の取り組みはシリコンバレーと比べて小粒であり、日本においては、企業がリソースを囲い込む構造がイノベーション停滞の一因となっている。イノベーションと一言で言っても日本と米国では社会文化的背景が大きく異なるため、日本に適した形を模索することが必要であり、そんな日本社会において潜在性が高い領域は、マルチステークホルダー型の社会課題解決やソーシャルイノベーションの近傍であり、そこで鍵となるアプローチこそが「リビングラボ」だと考えている。
リビングラボに向いている組織とは
当然ながら、リビングラボには向き不向きがある。すべての組織にリビングラボの立ち上げを推奨するわけではなく、組織によって適性が異なり、異なった関わり方がある。
初回で紹介したリビングラボの定義を再掲してみよう。
リビングラボとは、「みんなの未来をみんなで創る方法論」である。「多様なステークホルダーによる共創を通じて、実生活の場で試行錯誤を重ねながら、長期的視点で新しいモノやコトを創り出す仕組み」である。
この定義から分かるように、リビングラボにはまず時間がかかることを受け入れられる組織、そして、数年単位でコミットできる組織体制が不可欠である。つまり、リビングラボの知識をどれぐらい知り、ツールをどれだけ活用できるかだけでなく、組織そのものの成熟度が鍵となる。ただし、たとえ組織の成熟度が十分でなくても、もしリビングラボが自分たち(の組織)には重要であると感じるのであれば、すぐに諦める必要はない。関わり方は様々だからだ。
日本でのリビングラボは始まったばかり
日本でのリビングラボは始まったばかりである。欧州では2000年頃から研究者の間でリビングラボの模索が始まり、2006年には欧州リビングラボネットワーク(ENoLL)が設立された。つまりすでに20年の歴史がある。一方で、筆者が日本で「リビングラボ」を紹介し始めたのは2015年前後であり、ここを起点に考えるとまだ10年に満たない。日本のリビングラボは、ようやく芽生え、花開き始めている段階であり、今まさにローカライズを進めるべき時期である。
そうした中で、数年前に日建設計の吉備氏が提唱したパーパスモデル(※1)に触発され、日本型のリビングラボのあり方について考えるようになった(議論を重ねその成果をまとめた論文:※2)。日本の具体的な共創事例をパーパスモデルで分析すると、欧州とは異なり、日本では関わる人々がその時々の状況を細かく読み取り、自身の立ち位置を微調整しながら共創に参加していることが明らかになった。この傾向は以前の研究でも観察されていたが(※3)、深く掘り下げることはしていなかった。
論文という形で日本型リビングラボの模索を続けている
こうした“流動的な関係性”は、日本の共創に特徴的なものである。リーダーは常にリーダーである必要はなく、状況や関係者の構成の変化に応じて、役割が自然に移り変わる。また、日本の共創では“空(くう)=余白”を許容する傾向が強く、場合によっては目標(パーパス)ですら余白のまま進むことがある。それでもプロセスが機能する点に、日本的な共創の強みがある。
この特徴は、欧州との違いをより明確にする。欧州ではヒエラルキー(階層構造)が一般に否定的に捉えられ、リビングラボの運営やプラットフォーム、ツールは上下関係を可能な限り排除し、対等な議論が生まれるよう設計されている。これは「階層をなくせば自由な発言が促される」という文化的前提に基づくものである。
一方で日本では、ヒエラルキーは否定すべきものというより、役割や責任の境界を明確にし、場を安定させる仕組みとして機能する場合がある。そのため、参加者は“どのように振る舞えばよいか”を理解しやすく、かえって議論やプロジェクトが進行しやすくなることもある。つまり、ヒエラルキーが混乱を防ぎ、安全な場を作り出すという側面が存在している。
ただし日本の議論の場では、たとえ場が安定していても「場を乱してはいけない」「間違ったことを言ってはいけない」という感覚が働き、発言をためらう人が多い。その結果、表の場では意見が出にくくなる。しかし、無記名で意見を募集すると、同じ人々から多様で率直な意見が大量に集まることがある。匿名性が“場の空気”から解放し、心理的負荷を下げるからである。
こうした特徴を踏まえると、日本では「ヒエラルキー」と「匿名性」という、一見欧州のリビングラボとは対照的な要素が、むしろ共創を促す働きを持つことがわかる。つまり、欧州の枠組みをそのまま適用するのではなく、日本の社会文化的背景に即した仕組みを組み合わせることで、参加者の負担を減らし、より実りある共創が実現しやすくなるのである。
ここから導かれるのは、リビングラボを展開する際には、社会文化的コンテキストに合わせてローカライズすることが不可欠だということである。いかに心理的・関係的負荷を抑えつつ、イノベーションにつながるプロセスを支援するか。リビングラボはあくまで「ツール」であり、その工夫の余地は大きい。「日本ではできない」のではなく、実は「日本でもすでにできている」。それを外在化し、可視化し、日本に合う形にアップデートしていけばよいのである。
共創のマインドは育てることができる。時間はかかるかもしれないが、必ず可能である。日本的価値観に基づく共創の仕組みが育てば、リビングラボはより自然に社会に根づき、イノベーションを加速させると考えている。
日本のワークショップも表層は海外のものと変わらない。しかし細かいプロセスは異なりそうだ(小松市小松リビングラボ提供)
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※1吉備 友理恵 (著), 近藤 哲朗 (著). パーパスモデル: 人を巻き込む共創のつくりかた. 学芸出版社. 2022.
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※2Yasuoka, M., & Kibi, Y. (2024). Not just power: Exploring transitions as fluidity relationality in Participatory Design. Participatory Design Conference, Exploratory Papers and Workshops (pp. 52-59). ACM. https://doi.org/10.1145/3661455.3669870
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※3Yasuoka, M., Ohno,T., and Nakatani, M., Towards a Culturally Independent Participatory Design Method: Fusing game elements into the design process. International Conference on Culture and Computing. 2013. https://www.proceedings.com/20656.html
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ロスキレ大学サステナブル・デジタリゼーション 准教授
北欧研究所 代表
安岡 美佳
北欧研究所主宰/ロスキレ大学准教授/一橋大学客員研究員/株式会社メンバーズ社外取締役。専門は社会におけるITシステム。北欧におけるITシステム構築手法としての参加型デザインやリビングラボの理論と実践、それら手法の社会文化的影響に関心を持つ。