都市と健康#1:健康の社会的決定要因とは?ゼロ次予防について
古賀 千絵/東京大学 先端科学技術研究センター特任助教
2024/11/27
居心地の良い環境が人々の健康やウェルビーイングに良い影響を与える可能性が科学的にわかりつつあります。人々が健康になれるまちづくりに寄与できる研究や、関連するコンセプトについてご紹介できればと思います。
今日、世界のあらゆる都市が人々が歩きやすい、歩きたくなるようなウォーカブルなまちづくりに力入れています。例えば図1のように、ドイツのデュッセルドルフ、オランダのユトレヒトなどは右から左へ、この30年間で車が少ない、人が歩きやすい環境の整備に力を入れているように見えます。またスペインのバルセロナにおいては、スーパーブロックプロジェクトと呼ばれる大規模な歩行空間の整備が行われていることで有名です。この背景には様々な要因があると思いますが、その中のひとつにこのような居心地の良い環境が人々の健康やウェルビーイングにポジティブな影響があるということが科学的にわかりつつあることもあると考えられます。
図1
筆者は、社会疫学という公衆衛生学分野の1つを専門としています。社会疫学は、集団を対象とした大規模データを収集、統計解析を通して人びとの健康に影響する社会的な要因を明らかにし、それらの健康影響の大きさやメカニズムを解明する分野です。我々が解明していることを端的に表すと、健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health:SDH)ということができます。健康に影響する社会的な要因には、様々なものがあります。例えば、所得や学歴のような、個人ごとに決まるミクロレベルの要因から、個人間の人間関係の有り様、住んでいる地域の特徴・経済動向のようなマクロレベルの要因まで幅広い(マルチレベルの)要因が、複雑に絡み合いながら私たちの健康に影響しています。これらをまとめて、「健康の社会的決定要因」と呼びます。その社会疫学分野で注目を集めているのが、「暮らしているだけで健康になれるゼロ次予防戦略のまちづくり」というものです。
予防医学の領域では、予防が段階として考えられており、1次予防、2次予防、3次予防が従来注目され、日本の健康政策にも生かされてきました。例えば1次予防は、栄養改善や運動習慣を身に着けることなど、個人でできる予防を指します。2次予防は、疾病リスクの早期発見と対応です。私たちが健康診断をし、病気を初期段階で発見し治療するのは、この2次予防にあたります。そして3次予防は、すでに発症してしまった疾病に対し、再発を防止するための治療やリハビリのことを指します(図2)。
図2
2003年3月に、厚生労働省が発表した健康日本21(第一次)では、59項目の数値目標を掲げ10年間取り組みました。その結果、達成されたのは10項目、悪化した項目は9つという結果でした。つまりこの政策はあまりうまくいかなかったということになります。この健康日本21の第一次では、目標の多くが個人の生活スタイルの改善を通した健康増進が基盤となっており、1次予防的な目標設定だったと言えます。このことから、個人の行動変容にのみアプローチすることには限界があると考えられます。しかし、昨今のエビデンスの蓄積もあり、2024年4月から施行されている健康日本21(第三次)では、「自然に健康になれる環境づくり」、「誰もがアクセスできる健康増進のための基盤の整備」など、環境に着目した文言が取り入れられました(図3)。環境を改善することで、疾病を予防することは「ゼロ次予防」とも呼ばれます。ゼロ次予防の目的は、疾病リスクを高めることが知られている社会的、経済的、文化的要因の発生とその定着を防ぐこととされております。このゼロ次予防のポイントとして、必ずしも個人の努力に依存しないということが言えます。例えば、運動や散歩に適した公園や歩道があるとします。この時、運動意識が高い人は毎日運動するために使用するかもしれません。しかし運動習慣がない人でも、歩きやすい歩道があることで、生活の中で歩行を選択する確率が増える可能性があります。このように高い健康意識はなくとも、地域に魅力的な資源があることが自然と健康行動を促したり、その人らしいライフスタイルを送る手助けをする可能性があります。このような、ある一部の人々だけではなく、地域住民など集団に対してアプローチを行うことを、ポピュレーションアプローチと呼びます。筆者の目標は、人々が主体的に健康になりたいと思うことができる環境を整備すること、そのための社会システムを構築するための科学的エビデンスを生成することです。次回のコラムでは、筆者らの研究から、このゼロ次予防に関するエビデンスをご紹介したいと思います。
図3
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東京大学 先端科学技術研究センター 特任助教 古賀 千絵
千葉大学大学院医学薬学府先進予防医学共同専攻修了、博士(医学)。シャリテ医科大学(ベルリン)研究員、千葉大学予防医学センター特任研究員を得て現職。専門は社会疫学で、健康の社会的決定要因や暴力の社会的決定要因の解明を進めている。現在は、都市とウェルビーイング、暴力、ストレスの関連について研究を展開。